タリーズコーヒーは、「スペシャルティコーヒーのおいしさを伝えたい」という情熱のもと、生産国との信頼関係を築くことを大切にしています。数ある生産者の中でも、タリーズコーヒーがもっとも信頼する農園の一つ、ブラジルのバウ農園。長年タリーズコーヒーのバイヤーを務める南川剛士が、バウ農園と歩んできた約20年の物語をお届けします。
総店舗数がまだ50に届くか届かないかという2002年。今日のタリーズコーヒーの“味”を作り上げたと言っても過言ではない男が入社した。
南川のコーヒー好きは、父親に連れられて喫茶店へ行き、ミルクと砂糖を入れたコーヒーを飲んでいた小学生の時分からだった。普段は仕事で忙しい父親と過ごす、一杯分の時間が好きだったのだ。10代になりコーヒーのおいしさを知る頃には、明確に「コーヒーに関わる仕事がしたい」と考えるようになった。
転機となったのは、タリーズコーヒーに入社する2年前。当時勤めていた会社を辞め、貯めていた資金をもとに単身ブラジルへと渡った。たとえばフレンチシェフが本場フランスの料理店で修行をするように、コーヒーの仕事を志すならば自分の足で産地へ赴き勉強しようと踏み出したのだ。
日系人が多く、日系社会においては日本語もある程度通じるブラジルだが、日本と比べると治安は非常に悪い。ガイドも付けずたった一人でバスを乗り継ぎしてやってきた南川を、「度胸あるサムライだ」と歓迎する声は多かった。親切で気の良いコーヒー生産者の家々を渡り歩き、コーヒー生産やカッピングについて勉強し始めて4カ月が経つ頃、南川に一本の電話がかかってきた。
「コーヒーの勉強をしに、日本から来たのだろう。それならうちの農園に来なさい」。南川を<サッカーではなくコーヒーの勉強をしに来た稀有な日本人>として取り上げたブラジルの日本語新聞を見て、電話をかけてきたのが日系二世のフクダ・トミオ氏だった。
トミオ氏が営むバウ農園は、今でこそ日本や韓国にコーヒー豆を届けている大規模農園だが、当時はまだ挑戦続きの時期だった。日本で本当においしいコーヒーを提供したいと燃える南川と、農園をさらに広げたいと意気込むトミオ氏の縁は、南川が帰国した後にも続いた。
(2001年、バウ農園初訪問時。左から、南川、トミオ氏の妻・セリアさん、バウ農園の従業員)
(バウ農園は標高1,000~1,100mの台地にある。広がる地平線に沈む夕日)
日本に帰国した南川はタリーズコーヒーに入社し、1年間の店舗勤務を経て、店舗で扱うコーヒー豆の品質管理や調達といった業務を担うようになった。
そこで偶然、トミオ氏との再会のチャンスが訪れる。2006年にサプライヤーの担当者から「ブラジルにあるバウ農園に、タリーズコーヒーだけの苗を植えませんか」と提案があったのだ。もちろん、その担当者は南川とトミオ氏が旧知の仲であることは知らない。南川は二つ返事で「やりましょう」と答えた。
(56ヘクタールのタリーズコーヒー専用区画が設けられた)
その年の冬、初めてバウ農園にタリーズコーヒー専用のブルボン種が植えられた。ブルボン種は、タリーズコーヒーが取り扱うアラビカ種の中の一つ。ブラジルでは「コーヒーの原型」と呼ばれるほどの豊かな香りとコクが特徴だが、栽培においては病気に弱く手間ひまがかかる。
「育てる難しさはあるが、タリーズコーヒーはスペシャルティコーヒーにこだわっている会社だから、迷うことなくブルボン種を植えてほしいとトミオさんにお願いしました。当時はまだ、収穫したコーヒーをちゃんとお店で使ってあげられるかも分からない段階だった。先のことは、何一つ決まっていなかったんです。それでもトミオさんがちゃんと育ててくれて、翌年2008年の夏に初めて少量を収穫できました」(南川)
(初収穫には南川も参加した)
この時に収穫されたクロップは数量限定で販売され、今なお記録に残る売り上げを叩き出した。しかし、この成功に安心する暇もなく、南川とトミオ氏は新たな挑戦の準備にとりかかっていた。
(アフリカンベッドで乾燥のテストを行う南川とトミオ氏)
それが今日、タリーズコーヒーのシーズナルビーンズの中でも特に愛されている「レッドブルボン ドライオンベッド」の試作だった。定番であるレッドブルボン種を使う点は従来と同じだが、収穫後に行うチェリーの乾燥方法が特殊だ。
通常はコンクリートの乾燥場にチェリーを敷きっぱなしにして乾かすところを、「ドライオンベッド(Dry on bed)」の文字通り、アフリカンベッドと呼ばれる風通しの良い網棚にチェリーを並べる。状態の悪いチェリーを人の手で取り除きながら、時間をかけてムラなく乾かすことで、クリーンな味わいと濃縮された甘みを引き出す手法だ。
(従来はコンクリートの乾燥場でチェリーを乾かす)
南川からドライオンベッドを提案されたトミオ氏は、「そこまで手をかけられない」と難色を示した。そもそもこの方法は、ブラジルでほとんど採用されない。一般的にブラジルのコーヒー農園が持つ強みは、広大な敷地と機械化された栽培オペレーションによる安定した大量生産であり、人の手で行う工程を増やすのは非効率的だからだ。
ところが翌年南川が農園を訪ねると、そこにはテスト用のアフリカンベッドが用意されていた。
(アフリカンベッド建設中のトミオ氏とバウ農園の従業員)
「トミオさんには、『取引先の中で、南川さんが一番品質にうるさい』と言われます。でも、僕がどれだけ本気でコーヒーに向き合っているかを見てきたトミオさんだから、僕の提案を信じて、網棚を作って待っていてくれたのだと思います。日本とブラジル、距離的には一番遠い場所にいる生産者なのに、コーヒーに対する情熱は誰よりも近くにあるのだと感じましたね」(南川)
(アフリカンベッドでチェリーを乾燥させる。悪い状態のチェリーを一粒ずつ手作業で除く)
テストの結果は、その手法が正解であることを証明した。申し分のない出来栄えで、難なく商品化に至る。手間も時間もかかる方法だが、その後もトミオ氏はタリーズコーヒーからのオーダーに真摯に応え続けた。「ドライオンベッドは、タリーズコーヒーに納品する分しか作らないよ」という南川との約束を頑なに守ってくれたのだった。
(南川とトミオ氏。農園事務所でのミーティングにて)
当時から現在まで、南川が目指しているのは「良いコーヒーを、日本のお客さまに届け続けること」だ。
農作物は、自然を相手にしている以上、霜の被害や干ばつといった天候不順によって出来の良し悪しに波がある。とりわけコーヒー市場は、相場の上がり下がりが激しく生産者の収入が安定しづらい。それでも長期的に高品質のコーヒーを作り続けてもらうには、良い時も悪い時も、その苦楽を共にすることだと南川は語る。
「僕が思う“良いコーヒー”とは、品質そのものが良いのはもちろん、その品質がずっとずっと続くコーヒーのこと。品質を良くするには、当然コストも手間もかかります。大事に育ててきたコーヒー豆が、雨のせいで一晩で台無しになることもある。それでも生産者は、収穫できた分で生活を守っていくしかありません。相場がどんなに高い時でも、僕たちがきちんと買わないと、彼らは農園を畳んでしまう可能性だってあるんです。生産者にとっては高く買ってもらえる商品で、僕たちにとっては追い求める味を具現化できた一杯で、お客さまにとってはおいしく上等なコーヒー。みんなが幸せであることが、良いコーヒーの条件なのではないでしょうか」(南川)
(開花時期のバウ農園。白い花が咲き誇る)
現在、バウ農園はブラジルにある他農園から「成功者」だと言われている。それはタリーズコーヒーが長年に渡って、誠実な姿勢で購入してきたからだろう。
試行錯誤しながらも順調に調達を実現してきたが、2016年には「計画的な事件」が起きた。タリーズコーヒーがバウ農園に植樹してから10年目のこの年、初めてのカットバックを行ったのだ。
カットバックとは、老いてきた木を根元近くから切り、切り株から新しい芽を育てることで木の勢いを回復させる方法だ。コーヒーの木は、定期的にこのカットバックを行う。木を植え直すことなく樹勢を取り戻せるが、切ってから2年は収穫ができない。
タリーズコーヒー専用区画から獲れる生産量は、元の半分以下にまで下がった。日本の店頭ではすでに定番化していたバウ農園のコーヒーも、この時ばかりは「本日のコーヒー」から外れたのだった。
(2017年。カットバックから1年が経った切り株)
ようやく木が回復し収穫量も戻った頃、南川とトミオ氏はタリーズコーヒー専用の区画を増やすことを決めた。
「今、タリーズコーヒーは約760店舗まで増えました。この先1,000店舗まで展開した時にも、どうやって調達し続けるか。区画を増やすことで解決すると思いきや、一筋縄とは行かなかったのです」(南川)
増え続ける店舗数に遅れをとらないよう、先を見据えて計画を立てていく——コーヒー農園との連携がこれまで以上に肝となる局面で、さらに南川の頭を悩ませたのは品質の低下だった。それもバウ農園だけではない。グアテマラやコロンビアなど世界中の農園で、軒並み品質が下がっているのを感じていた。
その主な原因の一つが、地球温暖化だ。
この頃、バウ農園はトミオ氏から息子のタケオ氏に引き継がれていた。相変わらず真面目に作ってくれていたが、何かを変えなければ品質はこのまま下がっていく……南川は意を決し、タケオ氏に品質改善プロジェクトを持ちかけた。
「腹を割って、正直に伝えました。品質が悪くなっている、と。昔の良かった品質を一緒に取り戻したいから、まずはコーヒー豆の収穫から生豆になるプロセスを見直してみないかと提案したんです」(南川)
(バウ農園の定番、レッドブルボン種のチェリー)
南川の提案を静かに聞いていたタケオ氏は、やがて首を縦に振った。タケオ氏は、トミオ氏と同じようにコーヒー作りに対して人一倍プライドを持っている。その彼が、品質が下がってきている事実を受け止め、共に改善に乗り出せたから今があると南川は振り返る。
「良いものを作り続けるには、お互いが素直でなければいけないと実感しました。この時はタケオさんが僕の話を素直に受け入れてくれた。だからこそこの先、タケオさんが言うことは僕も素直に受け入れなきゃいけない。ビジネスの相手でも、ベースとなる信頼関係はお金で買えませんから。あの時、同じ方向を向いて改善に踏み出せたことには大きな意味があると思っています」(南川)
(左から、タケオ氏、南川、トミオ氏)
品質改善プロジェクトは、2019年から始まった。コーヒー豆の収穫は、チェリーの色の具合で時期を測る。赤色の段階で摘むべきなのか、紫か、レーズンのような深い茶色か。ドライオンベッドのように時間をかけて乾燥させると品質が良くなるが、収穫したチェリーすべてを網棚の上に並べる時間も場所も農園にはなかった。
(コーヒーのチェリーの熟成度合い)
まず南川が提案したのは、収穫・発酵・乾燥の組み合わせを変えた24通りのテストだ。それぞれのパターンで作ったコーヒーをカッピングし、最適な方法を絞り込んでいく。その次のステップでは、バウ農園が得意とする機械化農業を活かし、オペレーション負荷をかけずに安定して作り続けられる方法を考えなくてはならなかった。どんなに良いサンプルを作れても、その品質を保ったまま日本の店舗へ継続的に調達できなければ意味がない。
南川は、農園内にあるユーカリの林で、もともと使っていたコンクリートの乾燥場に影を作れないだろうかと考えた。並べられたチェリーが直射日光にさらされないようにするためだ。すると、網棚の上に並べた時と同じように乾燥する速度がゆるやかになった。これは、良い結果だった。
実はこれらの緻密なテストが行われていた頃、世間はパンデミックの最中だった。12時間もの時差がある中、南川とタケオ氏はオンラインミーティングを重ね、着実にコミュニケーションをとってきたのだ。両者に共通するコーヒーへの情熱が推進力となって、ようやく今年(2023年)大規模での実践段階に漕ぎつけた。
(悪い状態のチェリーを自動で選別する機械も導入した)
(バウ農園のメンバーと南川。タリーズコーヒー専用区画にて)
タリーズコーヒーとバウ農園のつながりは、16年目に突入した。トミオ氏・タケオ氏が来日し、店舗に足を運んだこともある。棚に並ぶ「FAZENDA BAU(バウ農園)」と印字された鮮やかなパッケージを見て喜んでくれた、と南川。
(タケオ氏とフェロー)
「生産者と一緒に汗を流して良いコーヒーを作り上げることは、僕の情熱です。でも作り上げた後、お客さまのところまで届けられるのは店舗のフェロー(従業員)たちのおかげなんですよ。タリーズコーヒーが毎年良いコーヒーを生産者から買えるのは、フェローがお客さまにその魅力を伝えて、お客さまに良い一杯と良いひとときを提供できているから。こうして生産者と店舗と僕たち商品開発がつながって、“良いコーヒー”が完成するんです」(南川)
タリーズコーヒーのフェローが担うのは、コーヒーの一歩踏み込んだ楽しみ方や豆選びのアドバイスを通して、お客さま一人ひとりと心を通わせることだ。店舗でシニアマネージャーを務める寺島は、「一人でも多くのお客さまにコーヒーの楽しさを伝えたい」と語る。
(シニアマネージャー・寺島)
たとえば、タリーズコーヒー各店で開かれるコーヒースクールでは、産地や品種で異なるコーヒーの味わいを楽しめるよう、お菓子とのペアリングも提案している。店舗で販売しているケーキやデニッシュなどはもちろん、地元民なじみの銘菓や誰もが一度は食べたことがあるだろうお菓子といった身近な例に出すと、スクールの場がぐっと賑やかになる瞬間もあると寺島。フェローとお客さま、時にはお客さまどうしの交流が生まれ、学ぶだけではないコーヒー体験となる。
コーヒーの良さを伝えるための努力はこれだけではない。タリーズコーヒーのバリスタとして抽出技術やコーヒーに関する知識を広く⾝に付け、テイスティングスキルやコミュニケーション能力も日々磨く。そして全国約1万人のフェローが参加するバリスタコンテストでは、その技術を競い合うことで切磋琢磨し続けてきた。
「日々コーヒーのことを勉強していると、遠く離れている産地に思いを馳せる瞬間もたくさんあります。海外で起きた災害や事件のニュースを目にすれば、そこに暮らす生産者さんの安否も当然心配です。会ったことはなくとも、コーヒーを通じてつながっていますから。5年後も、10年後も、農園の皆さんが作るおいしいコーヒーをお客さまに届け続けたいんです」(寺島)
この3月には、バウ農園のドライオンベッドに加え、トミオ氏が新たに手がける農園・バレ ド クリスタルのニュークロップも日本に届く。
(2023年3月3日発売。左から、「ブラジル バレ ド クリスタル」「タリーズ ブラジル ファゼンダバウ ドライオンベッド」「タリーズ ブラジル ファゼンダバウ “BONUS PACK 220g”」)※数量限定
バレ ド クリスタル農園は、トミオ氏が次なる夢を抱き辿りついた新たなステージ。バウ農園よりも高い標高1,250mの場所にあり、一年を通じて涼しい風が吹き抜ける。かつてダイヤモンドの採掘で繁栄したゴツゴツした岩山のような環境にはミネラル分が豊富。そこにトミオ氏は目を付けた。バレ ド クリスタル農園とは「水晶の谷」を意味し、農園内には水晶をあちこちで見つけることができる神秘的な場所。2019年にコーヒー作りをスタート、2021年には南川もオンライン植樹に立ち会い、今回発売するのは2022年に初収穫を迎えたサンタローサ種だ。ピーチやベリーのような華やかな香り、レーズンを思わせる甘いフレーバーが楽しめる。トミオ氏の深い愛情に包まれて新しいコーヒーは出来上がった。
(トミオ氏と南川。バレ ド クリスタル農園にて)
今やブラジルの一大農園となったバウ農園を担うタケオ氏と、新たな農園の発展に挑むトミオ氏。そして彼らと共にコーヒー作りへの情熱を燃やすタリーズコーヒー。これからも、生産者、商品開発、そして店舗が一つとなって作り上げる“良いコーヒー”の進化に目が離せない。3者の立場は違えど、常に創業時から変わらない真面目さでコーヒーに向き合い続けるのだろうから。